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フィードメーター - 暗黒図書館 -Dark Side Library-

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青い空の下で

八章

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 『塩』は宗司の胸にナイフを突き立てた。
 ナイフが突き刺さる瞬間をカメラは捉えていた。
 その勢いで体が押し出され、座っていた椅子と共に傾いた。両側にいた『水銀』と『硫黄』が椅子を支えていなければ、そのまま倒れていただろう。
 宗司は呆然とした顔をして『塩』を見上げた。何か語りかけているのか、口を動かしていた。何を言っているのだろうか。今までと同じく音声は出力されなかった。そして、宗司は自分の胸を見た。顔色がどんどん変わっていく。痛みが襲いかかったのか、宗司は顔を歪め、体を震わせた。手を胸に動かし、ナイフを抜き取ろうとした。両側にいた『水銀』と『硫黄』が宗司の腕を掴み、動かない様に押さえつけた。
 宗司はその拘束から逃れ様としているのか、体を動かして藻掻いていた。突然 、電池が切れた玩具の様に動きを止めた。そして椅子の上で体が崩れた。両側から押さえられていなければそのまま床に倒れ込んでいただろう。しかし『水銀』と『硫黄』はそれを許さなかった。二人はそのまま押さえつけて、力のない体を椅子の上に座らせていた。
 頭は垂れて下を向いていた。ナイフの刺さった胸には赤い液体が滲み出てシャツを染めていった。そして、その範囲はどんどん広くなっていった。その場面がしばらく続いた。

 それで動画は終わった。
 君はディスクを取り出し、元のケースに入れた。
 ケースをデスクの上に置くと、スタジオに目を向けた。
 今の動画を撮った撮影機材が置いてある。スタンドに取り付けられたマイクに大きなカメラ、そして照明機材がある。その中でカメラは部屋の中へと向けられていた。
 君は今までの行動を全て撮られているように思えた。
 しばらくカメラを見つめた後、ディスプレイに目を戻した。

 パソコンの中に何か無いか探してみたが、このアカウントから見える範囲では期待できそうもなかった。ドキュメントや画像など一つもなかった。アプリケーションもは入っていない。最低限の物しかなかった。
 他のアカウントを調べようにも、パスワードが分からない。中には重要なデータがあるはずだ。だがこれではどうしようもない。君は諦めるしかなかった。

 階段に出るドアのある壁に置かれたキャビネットの方を見た。幾つかあるキャビネットの中には閉じられたファイルがある。君はその前に行き、ファイルを見た。
 ファイルの背には『実験番号』と書かれた文字とそれを表す数字に日付が記されている。君はその中から一番新しいファイルを抜き取った。実験番号と日付は、あの動画が入っていたディスクに記された番号と日付と同じだった。
 君はそのファイルを開いた。それはパンチで穴を開けて閉じるタイプのファイルだった。閉じられている資料は数十枚程だった。

 君は閉じられた資料に目を通した。
  始めのページには『目的』と大きな文字で書かれている。そして、それに続く数ページには余白がほとんど無い程びっしりと文章が書き込まれていた。これには手書きの部分はない。全てプリンターで印刷されているようだ。
 “再度復活の実験を行い、死からの復活を実現する。この実験は我々の精神を更なる高みへと導く礎となるだろう。”
 そう書かれていた。
  問題は“死からの復活”という部分だろう。復活を行うには、まず死んでいなくてはならない。そして死体を手に入れるためにはどうすれば良いか。
 再び君はスタジオの方を向いた。あそこで行われた事は実験の一環だったのか。あの動画の存在を考えれば、集会場にいた人達の前で宗司の殺害される場面がプロジェクターで映し出されたのだろう。あの集団に属する人達は実験を目にしていたのだ。予定通り死者が復活すると信じていたのだろうか。
 今起こっている殺戮の様子が脳裏をよぎった。君は理解した。そうだ、ただ信じていただけでない。確信していたのだ。現実に可能だと確信していたのだ。
 君は釈然としない思いと共に、何とも言えない不安が湧き出てくるのを感じた。
 ここには君に味方する者はいない。
 君の意見に賛同する者もいない。
 いるのは君とは異質な者達だけだ。
 彼等は君に害を与えるかも知れない。しかし、その害は直接的な被害だけを示しているのではない。彼等は思想や価値観が違うと言うより、異質と言った方が適切だ。彼等とはまともな意思の疎通は困難だろう。そして、そんな異質な存在に囲まれていると言う状況が、君の不安を生み出していた。
 この町は異質なルールで動いているのだ。

 君はファイルに閉じられた資料の続きを読んだ。
 “正しく完全な世界を取り戻す方法は正しいのか。それがこの実験によって明らかになる”“数多ある世界を全て元に戻し完成させる”“対立する二つの存在が、一つに融合する”“復活はその一段階でしかないが、最も重要な段階である”そういった文章が並んでいる。 これらは彼等の教義の一端らしい。
 “古より続いた手法にもとづいて実験を行う”とか“我々は正統な手法に則って実験に臨む”といった文章もある。
 君の頭の奥に痛みを伴う感情が突き刺さった。それはあまりにも苦々しく、不快な感情だった。そして先ほど感じた不安を打ち消す程の強い抵抗感が君の体を焼いた。

 『正統な手法』とは何か。人を殺す事が正統なのか。彼等にとってそれが正しい行いなのか。そして目的の為なら手段を選ばないのか。錬金術とはそういうものなのか。
 『目的』と題されているが、数ページ使っても具体的に何を目指しているのかはっきりと書かれていない。思わせぶりでもっともらしい意味も内容もない空虚な言葉が並んでいるだけだ。
 君は君自身を翻弄する感情が何であるか解ったような気がした。
 これは焦りと虚しさだ。
 こんな実験とも言えないような茶番を心の底から信じている人達が実際に存在するのだ。
 彼等に対して何をすればいいのか。
 何をするべきだったのか。
 君にはその答えが出せない。そして手の出しようも無い。そんな状況から焦燥感がやって来る。
 虚しさも同じだ。彼等に対して何も出来ない。彼等は異質な存在だからだ。彼等にはどんな言葉も通じないだろう。それが自分の無力さを実感させ、どうしようもない虚しさを引き起こすのだ。
 君はそれらの感情を押さえつけた。そしてページをめくった。

 目的の次は、実験の手順の説明する計画だ。白い紙面の中央に大きく『計画』と書かれている。これは数十ページはある文章だった。
 “選ばれた者を椅子に座らせ、『水銀』と『硫黄』が椅子の両側に立ち、『塩』が選ばれた者の胸の中央にある心臓をナイフで突き刺す。そして死亡を確認した後、太陽である金、月である銀、金星である銅、火星である鉄、水星である水銀、土星である鉛、木星である錫、それら七つの惑星を表す金属を加えて調合した硫酸を死体に注ぐ。これにより死の拘束から逃れ、再び姿を現すだろう”

 閉じられた資料にはそう記されていた。
 その後は人の立ち位置や動作等を事細かく指定した文章が続いていた。動作の一つ一つが偏執的と言っていいほど微に入り細に入り事細かく決められていた。それは、さっき見た動画と同じだった。
 あの映像は、この計画と寸分の狂いもない状況を映し出していた。まるで映像を見てから『計画』を書き起こしたようだ……。
「そうなのかも知れない」
 君は呟いた。あらかじめ決められた計画通りに実験を行っているのではなく、行った実験の結果を元に『計画書』を作成しているのではないだろうか。
 そうだとしても、それにどんな意味があるのか見当が付かない。『記録』を『計画』だと偽言する必要があるのか説明出する事は出来なかった。これには何か意味があるのか、それとも何の意味もない事なのか、それすらも解らない。
 君はその問題を先送りする事にした。意味などないのかも知れないし、本当に計画通りに実験を進めていたのかも知れない。それを判断する手掛かりは、一切無い。

 ページをめくると、一枚の紙が挟まっていた。この紙には穴が開いておらず、ファイルに閉じられてはいなかった。ただ他の資料の間に挟んであるだけだ。
 これは他とは違い、プリンターではなく手書きで書かれていた。
 『結果』と書かれた文字の下に二行の文章が書かれていた。急いで書いた文らしく、文字が崩れているが読めない事はない。
 “実験は成功した。始まりの地から彼は姿を現した。これで復活は可能であると実証された。我々は遂に最後の段階へ到達した。完全な世界は我々の手の中にある”
 書かれていたのはこれだけだ。君はこの文の意味を捉えようとした。復活の実験は成功した様だ。つまり死んだはずの人間が生き返ったのだ。そして彼等の前に現れた。そんな事があるはずがない。それに“始まりの地”とは何処にあるのだろうか。
 いくら考えても解らない。

 君は最後のページを見た。
 そこには一枚の絵が載せられていた。、
 三つの目が縦に並んでいる絵だ。これは印刷されたものではなく手描きで描かれていた。おそらく鉛筆で描かれたもの様だ。モノクロで、写実的で、かなり細かく描き込まれていた。その目は、うわまぶたとしたまぶたも描かれていたが、右目でも左目でもなかった。両端が目尻になっており、目頭にあたる部分がなかった。実在するかどうかは別として、これが本当の一つ目という者なのかも知れない。
 その絵について何の解説も書かれていない。ただ、白い紙面に一つ目が三つ並んでいるだけだ。
 一番上の目は眠そうに半分だけ開いている。
 真ん中の目は閉じられており、他の二つの目より黒っぽくなっている。
 一番下の目は大きく見開かれて、輝いているように目の周りに何本もの線が放射状に広がっている。
 これの絵が何を意味しているのか解らない。それに解ったとしても、この事件と関係あるとは君には思えなかった。

 君は他のファイルにも目を向けた。ファイルの背には事件番号と日付しか書かれていない為、その内容は分からない。しかし一つ一つ目を通している時間はない。何時誰かがここに来て君を見咎めるかも知れない。それに、この多くのファイルに中から重要な手掛かりを見つけ出すのは困難だ。しかし、それでも君は何かないかとファイルを見詰めていた。
 それは無駄には終わらなかった。君は見覚えのある日付を見つけた。その日付は重要な意味を持っていた。これは君がこの町に来るきっかけとなった事件が起こった日付だ。
 そのファイルは五年前の実験の記録だった。戸田宗司が殺されたと言われている事件があった日時と同じ日付のあるファイルだ。
 君はそのファイルを取り出し、読み始めた。

 始めには『目的』が書かれていた。
 それは“世界を変容させるために死からの復活を実践する”という一行の文だけだった。さっきのファイルに載っていた長い文章と比べれば実にシンプルなものだ。しかし書いてある内容はたいして変わりはない。どうやら前のファイルの『目的』は一行で済む所を数ページ分まで水増ししたものらしい。
 シンプルだと言っても意味が不明である事は同じだ。なぜ“死からの復活”が世界を変える事につながるのか解らない。結局、彼等が信じていた教義の内容をを知るしかこの意味を把握出来ないのだろう。ただ考えても解るものではない。まず前提となる知識を知らなければ意味を読み取れないのだ。

 次ページは『計画』だ。君はページをめくる指が少し震えているのを見た。まるで君の物ではなくなり、君の意思とは無関係に動いている様に思えた。
 君は今起きている事件と、五年前の事件の調査を行うと決意した。しかし調査を諦めて早くこの町から引き上げようとするもう一人の君がいるのを自覚した。今まで何度も押し込めて来ていたが、それも限界に近づいているのだ。
 君の指は動かない。このまま先へ進むのか。それともここで引くのか。
 君の指はページをめくった。それは君の意思とは関係無く動いた。
 これでもう後には引けない。君は君自身を苦境へ追い込んだのだ。

 『計画』の内容は二、三ページにも満たなかいものだった。細かな指示等はこの『計画』には書かれていない。ただ事件の概要だけだった。
 まず、七つの場所で硫酸を撒く。その場所や方法を選ぶ基準は、“人に対して変容をもたらす場所でなければならない”としている。そして七カ所全てに撒き終えたら次の段階へと進む。ここで死体を用意する。ただの死体では駄目だ。高い精神を持ち、素質のある者でなければならない。我々は戸田宗司を実験の被験者として推薦する。
 次の段階では戸田宗司を死の領域へと導く。そして死を確認する為に頚部を切断する。 実験の様子は全て録画しておき、頭部と共に集会所へ持ち帰る。これで皆は戸田宗司が確実に死んだと皆が確認できる。
 後は実験の結果を待つだけとなる。
 『計画』の内容をまとめればこういったものだ。
 しかし、これだけではなかった。この事件は、今起きているほとんど人のいない閉ざされた町の中で起きた事件とは性質が違う。警察が介入し、マスコミが大いに取り上げた事件だ。錬金術の実験という理由で許されるものではない。それに、事件の一部始終が録画してあると書いてある。その動画は充分な証拠となるだろう。
 そういった問題を解決する方法が書いてあった。『計画』の最後、余白の部分に鉛筆で書かれていた。
 “目をそらせるために飯沼草二を犯人とする。そのための証拠を用意する。飯沼の名を出した日記を書く。実験を行う日に部屋に来るように手紙を出す。物的な証拠を残す必要がある。”

 飯沼草二とは誰だろう。初めて聞く名前だ。テレビや雑誌、新聞にもその名が出てこなかった。当時、テレビ等が大きく取り上げていたのを目にしていた。それにこの町に来る前にも、事件に関する情報を集めて目を通したのだ。
 もっとも、全ての情報をマスコミが流す訳ではない。表に出ない情報もある。これは直接、警察から聞き出さなければ知る事のできない情報なのか。そうだとしても犯人として逮捕された者は誰もいないし、五年経っても事件は何も進展を見せなかった。
 これはつまり、彼等の工作は失敗したという事か。具体的な工作の内容は分からないが小細工は警察には通用しなかった。捏造した証拠は無駄に終わったのだ。

 証拠ならこの部屋のどこかにある。事件の一部始終を映した動画だ。見つければ決定的な証拠になるだろう。しかし何処にあるのか。パソコンの中にあるかも知れない。それとも多数のファイルの中にあるのかも知れない。怪しい場所は幾らでもある。探し出すのにどれだけ掛かるか。
 君は諦めるつもりは無かった。もう後戻りは出来ない。そう確信めいたものがあった。

 後は『結果』だ。実験は成功した。死んでから三日後に戸田宗司は我々の前に姿を現したと書いてある。内容は前のファイルと同じだが、文章は短く素っ気なかった。

 しかしなぜ二回とも宗司が被験者に選ばれたのか。これには何か理由があるのか、それとも偶然か。いったいどんな基準で選んでいるのか。
 いや、偶然ではない。君は確信していた。二回選ばれたのは二回復活できる当てがあったからだ。『裏側』から見れば何が起きたのか推察できる。おそらく身代わりがいたのだ。死んだのは身代わりで、本当の宗司は何事もなく生きていたのだ。
 君はこの町に来た理由を思い返した。戸田宗司は生きている。殺されたのは後藤惣一だ。送られた手記はそう主張していた。あれは事実だったのだ。そしてもう一人身代わりがいた。戸田家の二階で見た死体。公園に置かれた死体。あれは宗司の身代わりだ。
 身代わりが務まる位だから二人とも宗司にそっくりだったのだろう。人が生き返る。そんな話よりも、宗司に似た人間が二人いたという方がはるかに現実的だ。
 宗司に似た人が二人いた。それが宗司が二回殺された理由だ。

 君は目に鈍い痛みを感じた。そして疲れ切っているのを今更ながら思いだした。
 キャビネットに手をつき、ふらつく体を支えた。
 限界が近づいているのか。
 君は窓へと近づいた。
 光を求めるように一歩ずつ足を運んだ。
 窓に手を掛け、ゆっくりと開けた。
 風は無い。全てが止まっているようだ。
 雲一つ無い空が一面に広がり、覆い被さっている。
 空は原色に近い程に青かった。
 光が差し込んでくる。その熱さ痛みを伴っている。
 君は今、君自身がいる場所は現実ではないと想った。
 現実でないならここは何だ。

 窓からは隙間無く並んだトタンの屋根が見える。他の家はほとんど二階建てだが、この家は三階まである。一段高いのだ。だから他の家に邪魔されず遠くまで見渡せる。
 君のいる場所から公園が見える。下におり、路地を行くなら何度も迂回させられるが、この家から公園まで一直線に行けば、それ程時間は掛からないだろう。つまり、屋根を伝っていけば短時間で公園まで行けるはずだ。
 二階の死体を公園に運んだのはその方法なのか。君は実際に可能なのか試してみたくなった。この部屋から一刻も早く抜け出したいという思いもあった。窓の下にはこの家のやねが突き出ている。そして狭い路地を覆っている。何とか隣の屋根に飛び移れそうだ。
 本当にこの部屋から出て行くのか。君は躊躇した。まだこの部屋を調べ尽くしていない。重要な何かがここにはあるはずだ。それを投げ出すのか。

 それは重要な選択だった。君はドアが開く音を聞いた。微かな音だが風もなく誰もいない静かな部屋の中では、やけにはっきりと聞こえた。
 君はドアのある方に視線を向けた。
 男が一人いた。赤い服は黒っぽく変色したしみがまだら模様となり、頭に被った袋に書かれた白い記号も所々赤黒くなっている。顔の部分にある円に矢印を組み合わせ、角を生やしたような記号はさきほど見た。『水銀』だ。彼は『水銀』だ。
 服のしみも、頭に被った袋のしみも返り血だ。
 彼は何も手にしていなかったが、鉈を持っていたはずだ。
 それで人を殺していったのだ。

「ここにいらっしゃたのですか」男は言った。
 その声には聞き覚えがあった。水野と名のった男だ。着ている赤い服も彼と同じだ。
「私の担当は全部終わりました。計画は順調に進んでますよ」
 彼は嬉しそうに言った。それは悪意のない誠実そうな声だった。しかし、彼の言葉の意味する所は君にも分かった。君は黒い紙に書かれていたリストを思いだした。彼が言ったのはリストに載せられた人達を全て殺し終えたという意味だ。
 君は狼狽えた。どうすればいいのか。何と返せばいいのか。その答えを探すように部屋の中のあちこちに視線を送った。だが、その答えは見つかるはずがない。
「どうなさったのですか? 何か問題でも?」
 彼は少し困惑した声で言った。
「いや、問題はないよ。何でもない」
 君は何とか声を出した。出来るだけ平静を装おうと必死になった。しかし当然な事だが、それで誤魔化せるはずはなかった。
「何かあったのですね? 教えて下さい。私が何とかしますから」
 彼は明らかに慌てた声で言った。そして君に向かって歩き出し、近づこうとした。
 いったい何が起こっているのか。君は今までの水野との会話から君自身の立場はどんなものなのか推し測ろうとした。この次は何をすればいいのか判断しようとした。水野は君にとってどれ程の脅威となるのか見抜こうとした。
 やるべき事は多すぎる。君は取り留めのない思考の混乱に陥った。これからどうなるのか。水野は君に何をしようとするのだろうか。確か身を守る為にフライパンを持っていたはずだ。どこに置いたのだろうか。もう何もできないのか。これで終わりなのか。

 いや、まだだ。まだ終わっていない。彼が君に危害を加えるとは限らない。それに彼の君に対する態度は丁寧だったと言って良い。何かされる可能性は低いのではないか。
 そう考えると君は心が落ち着いていくのを感じる事ができた。彼を恐れる必要は無い。彼は脅威にはならない。問題は君自身の立ち位置が解らないだけだ。受け答えさえ誤らなければ何とかなるかも知れない。
「問題は何も無いよ。それよりリスト通りに全てが終わったのかい?」
 努めて明るい声で言った。できるだけ水野から情報を引き出したかった。
「はい。リスト通り全て終わりました」
 君の質問に気を害した風もなく彼は答えた。
 そして「本当に大丈夫ですか?」と訊いてきた。
「大丈夫だよ。思ったより早かったから驚いただけなんだ」
 これで誤魔化せるだろうか。
「そうですか。確かに早かったかも知れませんね。私が一番乗りの様ですから」
 そう言って彼は部屋を見渡した。
 “一番乗り”という言葉から察するに、は全てが終わればこの部屋へ来るという段取りだったのか。という事はあと二人、『硫黄』と『塩』がここにやって来るはずだ。それまでに逃げ出した方が良さそうだ。三人も揃えば君など相手にもならない。こうなれば情報を引き出すとか言っている場合ではない。
「ああ、そうだ。用事があるからちょっと出てくるよ。留守番を頼む」
 そう言って君は部屋の外に出る為に階段のある方へ向かった。
「用事? 用事って何かあるんですか? 宗司さん」
 水野はそう言った。

 何? 何だって? 君は思わず足を止め、水野のいる方へ向き直った。
 今、彼は何と言ったのか。
 彼は“宗司さん”と言った。
 それは違う。君は宗司ではない。
 君はこの町に来た時に始めにあった老人の言葉を思いだした。
 老人は君が宗司と似ていると言っていた。再び公園で出会った時も、君は君自身と宗司は似ているのかと老人に尋ねて確認した。
 老人は似ていると言った。しかし見間違える程ではないとも言っていた。
 宗司の死体を見た時も、その顔は君自身に似ているとは思わなかった。死んで顔の印象が変わっているとしても見間違えるほど君に似てはなかった。
 それなのに水野は君を“宗司さん”と呼んだ。
 宗司は彼等と今までずっと顔を合わせていたのだ。見間違える訳がない。
 君と彼は向かい合っていた。
 部屋の中も外も不自然なほど静かだった。
 時が止まったようにどちらも動かなかった。
 彼の顔は黒い袋に包まれている。その表情は分からない。
 君は君自身がどんな表情を浮かべているのか知りたくなった。
 しかし、この沈黙は何時まで続くのか。

 音がした。
 ドアを開ける音だ。誰がやってきたのか考えるまでもない。
 窓だ。それが答えだ。どうすればいいのか、それに対する答えだ。
 君はさっき開けた窓に向けて走った。窓の下枠に手を掛け、勢いを殺さず下の壁を乗り越えて外へと飛び出した。トタン屋根が大きな音を響かせた。隣の家は二階建ての家だ。ここからなら屋根を伝っていける。屋根と屋根の隙間は一メートルほどだ。君は迷わず隣へと飛び移った。また大きな音が響く。屋根を踏み抜く可能性を無視し、派手な音を立てながら駆けていった。そして君は更に次の家の屋根に飛び移る。どこに向かえば良いのか君自身にも分からない。そうだ、何も解らない。そして君は――

 そして君は空を見た。
 原色のような青い空を見た。
 周りはトタンの屋根がずっと広がっている。高い建築物も低い建物もほとんど無い。同じような家が並んでいる。空から照りつける日差しがトタンを白く輝かせていた。

 ここは輝く大地だ。現実の風景ではない。
 やはりここは現実ではないのか。もしそうならば、どれが現実なのか。
 君は古いブラウン管のテレビの存在を想い返した。電源の入っていない映るはずのないテレビの事だ。水野が鉈で家族らしき人達を殺した場面を映したテレビの事だ。蛇の絵が描かれた黒い袋を被った男が映し出されたテレビの事だ。
 あれは何か仕掛けがあるのだろうか。それとも現実ではないのだろうか。

 大地の真ん中に立つ君は青い空に包まれていた。空はまるで押し潰そうとするかのような圧力を発していた。君はその圧力に押されるようによろめいた。倒れた体を必死で手で支え、再び立ち上がった。空は更に圧力を増していった。
 そして少しでも前に進もうとする君を降り注ぐ光が容赦なく焼いた。
 痛い。空が痛い。青い空が痛い。
 何かが強く臭う。これは薬品臭だ。
 今までこれと言った臭いを感じなかったが、今は酷く薬品の臭いがする。
 これが『青い毒』か。
 君はその手にブリーフケースを持っているのに気がついた。
 これだけは、まだ手放してはいなかった。
 強くそれを握り締め、歩を進めた。
 
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