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フィードメーター - 暗黒図書館 -Dark Side Library-

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青い空の下で

九章

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 どこからか薬品の臭いが立ちこめてきた。
 その臭いはまだ薄く微かなものだが、鼻をつく刺激が感じられる。
 『青い毒』の浸食が更に進んでいる。もはや何をするにしても手の打ちようがない。
「『読者』が何だって? あいつはただ読んでるだけだ。何かする訳でもないし、誰かに指示を出す事も無い。本当に“ただ読んでいる”だけだ」
 テレビの中の男はそう言った。
「それは違うだろ? “ただ読んでいる”だけじゃない。日記から読み取った意味をみんなに話し聞かせている。あれはかなりの影響力を持っているだろう。戸田兄弟なんて目じゃないほどにね。『読者』はもう既に教祖的な存在になっている。あんたは目を背けているだけじゃないか」私は続けて言った。「私はあんたを責めているんじゃない。誰だって不都合な事には目を背けたり、見ないように努めたり、無視したりしているんだ。そうでないと何もできない。生きていくのも辛いだろうね」
「不都合な事?」男はそう聞き返した。
「そう、不都合な事だ」私は答えた。

 男は袋に覆われた顔を手で押さえた。そして下を向き、何かに耐えるように体を震わせていた。小刻みに震える顔は黒い袋に覆われていて、その表情を見る事はできない。しかし彼の出す声が小さく漏れ出してきた。その声は徐々に大きくなっていく。
 私は苦笑した。テレビの中の男は笑っていた。湧き出す笑を懸命に堪えているのだ。
「遠慮する事はない。笑いたければ存分に笑えばいい」
 私はそう言ったが、男はそのままの姿勢で笑いを押し殺していた。
 私は発作が治まるまで待った。しばらくして男は顔を上げて私を見た。どうやら乗り切る事ができたようだ。
「いや、失礼。思ってもいない言葉が出て来たものですから。あの、何ですか。不都合な事ですか? あなたがそんな事を言うとは思いませんでした」
 と男は言った。私はそれに答えた。
「そんなにおかしな事かな? 当然だと思うが」
「ええ、当然ですよ。」
「なら、なぜ笑う?」
「あなたがそんな事を言うとは思ってもいませんでしたから」
 男は再びそう言った。
 私は再び苦笑した。同じ事を何度も繰り返しても仕方がない。
「そんな事と言ったが、それが何なのかあんたも知っているはずだ」私は言った。「言葉にできない、実際に感じるしかないんだ。それを承知した上で言っているのか?」
「ええ、そうですよ。できない事をやって欲しいのです。こちらとしては」
 男はあからさまに嗤っていた。そして続けて言った。
「全ては筋書き道理じゃないですか。何もかも予定調和なのですよ。あなたもその中にいるんです。思わせぶりな会話を続けるのは止めましょう。あなたが言いたいのは『当然だと思っている事は実際には何の根拠もない事だ。人の立っている大地は堅牢なものではない。いつ崩れ去ってもおかしくない』というものでしょう? 良くある陳腐な話じゃないですか」

「不毛だな」と私は言った。「なぜ陳腐な言葉しか言えないのか。答えは簡単だ。あんたが陳腐な存在だからだ。当然私も陳腐な存在だ。だから陳腐な会話しかできない」
「あんたは自分が陳腐な存在だと認めるのですね?」男はそう問いかけた。
「陳腐なのは決して悪い事ではない。それどころか陳腐な事は最も『正しい』。『正しい』から多用されて陳腐になる。陳腐は批判して退けるべきものではない」
 一息入れて、私は続けた。
「陳腐と言う言葉には、古臭い、ありふれている、つまらない、という意味がある。これらのネガティブな意味が、陳腐という言葉を誤解させている。なぜありふれているのか。なぜ古臭いのか。それを考えてみれば良い。古臭いというのは、昔から使われていたという事だ。ありふれているというのは、広く使われているという事だ。つまり、陳腐とは『正しい』事なのだ」
 照りつける太陽の光は更に強くなっている。
「陳腐とは『正しい』。『良い』ではなく『正しい』。つまらないが『正しい』。正しいからこそ長く、広く使われる。陳腐である事が正しく現実的であると保証する。陳腐さを嫌い批判する者は現実を否定し逃れようとする者だ。」
 私はテレビを見た。そこからは何の声も出てこない。
「現実を否定したいから陳腐さを否定する。大多数の中に埋没した陳腐さより、唯一限られた特別なモノを得ようとする。しかし、陳腐さは実に堅牢だ。先ず、揺るがす事はできないだろう。何か新しいモノを創ったとしても、それはすぐに大量生産され消費されてしまう。そして『新しいモノ」は陳腐化する。つまり少数は多数に飲み込まれて『正しい』モノとなる。全てのモノは『陳腐さ』と言う均一で平均的なモノへ組み込まれたと認識されるのだ」

「陳腐なものは正しくて良いものだと言うのですか? 陳腐さの中に真実はあると言いたいのですか?」テレビから感情のない声が漏れだした。粘質的な声だ。
 私は答えた。
「『良い』ではなく『正しい』と言った筈だが。そうだな、例を挙げて説明しよう。お金が欲しさに強盗を働き人を殺した者がいたとしよう。その者の行動とその動機は『正しい』。それは解りやすく、理に適っている。なぜならそれが陳腐だからだ。思考の筋道がはっきりを分かる、想定内の事件だからだ。だから『正しい』」
 私は更に続けた。
「それではここに、『空が見たかったから殺した』と主張する殺人犯がいたとしよう。その犯人の主張に筋道を付けようとあれこれ理屈をひねり出すだろう。そして事件を陳腐化させる事ができなければ『正しい』とは誰も認めない。『異常』と言うカテコリーに入れて終わりとするだけだ。この『異常』と言うカテゴリーも陳腐だ。違う形で陳腐化させて『正しい』モノとして組み込む。大量生産し消費する為にだ。そこには『良い』も『悪い』も関係がない。ただ消費できるかどうかだ。消費できる事が『正しい』とされる。善も悪も陳腐さには敵わない。容易に消費の対象となるからだ。消費できるモノが『正しい』、できないモノは『正しくない』。善悪と言う概念も消費されている。だからその概念は『正しい』」

 テレビの中の男は言った。
「消費されているから正しいのですか。しかし誰も陳腐さなど見向きもしませんよ。皆は新しさを求めているのではないですか。それにあなたは世界にある全てが陳腐だと言っているようですが、とても納得できるものではありませんね。余りにも見識が狭すぎる」
 確かにそうだ。一言で世界を説明する事はできない。一つ一つは単純でも世界を構成する要素は余りにも多く、多様だ。そして、その多様さはカオスを生み出す。カオスは世界を予測不可能にする。そして言葉で説明する事を不可能にする。
「実際、陳腐さは強固だ。強固であるが故に脆弱さを持ち合わせている。陳腐さには中心となる思想がない。何が陳腐なのかそれを決める根拠がない。なぜなら陳腐さとは大多数の総意であり平均であり均質化させたものだ。だから何でも取り込んでいく事ができる。何でも陳腐化できるのだ。しかし、中心や根拠がない事が脆弱さを呼ぶ可能性がある。大多数が変われば陳腐さの基準は容易に変わるのだ。しかし大多数を変える出来事とは何だろうか。それは世界に重大な変革が押し寄せる時が来るという事かなのか」
 私は芝居がかった口調で締めた。

 テレビの中の男は問いかけた。
「『正しい』というのは『分かる』という事なのですか。犯罪者も動機が陳腐で想定内なら『正しい』のですか。その意見はとても他人を納得させるものではないですよ。それにあなたが言いたいのは何なのですか。あなたを陳腐だと言った事に反論したいだけなのではないですか」
 私はテレビから目を逸らした。そして公園の中にある滑り台を見た。おそらくこの公園にある遊具は誰も使った事はないのだろう。そんな思いが頭の中を過ぎった。
「それは違う。私は余計な事は言わない。『陳腐さ』についての意見は重要な事だ。避けて通る訳にはいかない。先ず、そこから始めた方が良いからだ」
 私はテレビに目を戻し、続きを言った。
「人は陳腐さを嫌うが、その行為自体が陳腐なのだ。特別な存在になりたいという発想それ自体が陳腐だ。陳腐な存在だからこそ特別な存在に憧れる。人を超える思想を信奉する。それらは皆陳腐だ。しかし中には陳腐でない者もいる。確かに特別な者がいる。それらは何処が違うのか。それは一概には言えないが、先ず自分が陳腐な存在であると自覚し、それを乗り越える事で可能となる。それが特別な人である条件の一つだ。先ほど言ったが、陳腐さは全てを取り入れる。そして何であろうと自らの一部へと組み込んでしまう。特別な存在はそれを常時拒み続ける事ができるのだ。それが特別であるという事だ」

 テレビの中の男は口を挟む気はないようだ。
 私は続けて言った。
「だがそれは可能であるのか。陳腐さには中心がない、そして根拠となる思想もない。大数の総意という曖昧なものである陳腐さを規定する事はできないのだ。つまり陳腐さに本質はない。ただ「つまらない」という個人的な感情があるだけでしかない。だから対策がとれない。どんなに努力しても「つまらない」の一言で切り捨てられるのだ。そしてその
「つまらない」と言う言葉は『正しい』。明らかに『正しい』」
 そこで止めると、私は疲れを覚えた。この炎天下で話し続けるのは結構体力が要るようだ。しかし私はここで止める気はなかった。

「これはどんな言葉にも言える事だ。言葉を箱に例えると、その中には意味がは入っていると言える。この箱の中の意味は長い年月の中で積み重なっていったモノだ。時には変化し、入れ替わったモノもある。そして箱自体も次々と新しく生まれている。箱と箱の関係はどうなっているのか。並べられている箱もあれば、入れ子状になっている箱もある。例えば『山』と言う箱と『空』と言う箱は『風景』と言う箱に入っている。『風景』と言う箱の中では『山』と『空』と言う箱は意味へと変化する。箱の中では区切られた境界がなくなってしまう。言葉と言葉の境界は曖昧な物になるのだ。箱を積み重ねて世界を埋埋めようとしても隙間が出て来る。境界が曖昧だからどうしても隙間を埋めるられない。つまり、言葉で世界を語る事はできない。世界には言葉で伝えられないモノが確実に存在している。表現できないモノは、その周りを言葉で覆い飛び回る事でしかその存在を示せない。いや、表現できないからこそそれに惹かれるのだ。言葉では表現できないものを求めているのだ。だから書く。曖昧な物である言葉を使って書く。表現できない超越したモノを世界に現す為に書くのだ」

 この日差しの所為か汗が止まらない。
「陳腐さを嫌うのは仕方がない。しかしやたらと敵対視するのは褒められた事ではない。全ての物は陳腐な物になるのだ。それを自覚する必要がある。それから何をすればいいのか考える。それが大事だ。」
 テレビの中から声がした。男は感情を感じさせない声で問いかけた。
「あなたが何を言いたいのか分かりますよ。つまり、『錬金術は陳腐だ』と言いたいのでしょう?」
「ああ、そうだ」と私は答えた。
「それを言う為に長ったらしい演説をぶったのですか?」男は言った。
「もちろんそうだ」と答えた。
「ははっ。そうですか。表現できないモノでしたか。あなたが言いたかったのはそれですか。ずいぶんと回りくどい事をするんですね。『錬金術は表現できない』といえば良いだけではないですか。さっきのと合わせれば『錬金術は表現できない。なぜなら陳腐だからだ』と言った所でしょうか」
 男は嗤いながら言った。

 私は感情を抑えて言った。
「言葉を使って言葉自身を定義する事はできないからだ。意味を羅列する事はできるが、その意味自身が言葉である事に変わりはない。どうしても曖昧さが現れる。言葉を定義するなら上位の体系を持つメタ言語を使うしかない」
 私は男が口を出す暇を与えぬよう急いで言った。
「確かに錬金術は陳腐なものだ。だからこそ陳腐である事を認めてその先へ進んでいかなくてはならない。嘗てあったと言われる完全な世界へ戻る為に。本来的なものへ回帰する為にだ。そうして錬金術の目的を果たさなくてはならない。それが陳腐な物でしかない錬金がを特別な存在とする唯一の方法だ。そしてそれが彼等にとって幸せになれる方法でもある」
 男は口を挟んで言った。
「やっぱり茶番だ。あなたは錬金術が成功するとは思ってもいないのでしょう? なのになぜ成功させる方法を語るのですか? 彼等の幸せとは何ですか。口先だけで中身のない戯れ言じゃあないですか」

 男は怒っていた。今までの人を馬鹿にした様子もなく声を荒げていた。
 私はその時初めてこのテレビの中の男は誰だろうと疑問に思った。
 今まではただの妄想だと思っていた。青い毒が世界を蝕み、世界を狂わせて行った結果だと思っていた。この歪んだ世界にある歪んだ町の歪んだ妄想だと思っていた。
 公園の中には電源もアンテナもない。しかしテレビは男の姿を映し出している。これは現実の出来事ではない。妄想だ。
 しかし今はそう思えなくなった。これは実在する人物ではないか。
 紺色のスーツに赤いネクタイ。パイプ椅子に座っている。そしてその顔は黒い袋を被っている為分からない。その袋には白い線で絵が描かれている。自分の尾を口に咥えた蛇の絵だ。
「ウロボロスか」
 私は呟いた。
 どうにも嫌な予感しかしない。きっと何か不味い事が起きる。
 私は腰を屈め自分が座っているベンチの下を手で探った。
 その間もテレビから目を話さなかった。
 手に生暖かく堅い感触が有った。それは棒の様な物だ。私はそれを掴み、ベンチの下から取り出した。
 手にした物はバールだ。
 それをテレビに向けて突き出し、大きな声で言った。
「あんたは誰なんだ」
バールに効果があったとは思わないが、その返事はすぐに来た。
「それはあなたがよく知っているだろ。今更名のる必要はないね」
 やはりそうか。私は彼の正体を確認した。青い毒に蝕まれ狂った世界ならいてもおかしくないのかも知れない。
「なぜ私の前に顔を出したんだ。 何の為にここにいるんだ」
 私は問いかけた。
「あなただけでは話が進まないから来たんですよ」
 男は答えた。
「話?」
 私はその言葉を不快に思った。それと同時になぜ男が怒っていたのか分かってきた。
「思い通りに行かないだけで割り込んできたのか、それとも最初から出て来る予定だったのかどっちなんだ。」
「両方だよ」と男は言った。
 どっちにしてもやる事は変わりない。
 私はテレビへと近付いた。
 そしてバールを振り上げた。
「もう『作者』に出番はないんだ。とっとと退散してくれ」
 そう言ってバールを振り下ろした。
 かまいはしない。どうせ偽物だ。

 バールはプラスティックを撒き散らしテレビの上部にめり込んだ。
 そしてブラウン管は割れて稲妻のような皹を走らせた。
 第二撃を与える為バールを引き抜こうと力を入れた時、強い薬品臭がした。
 バールから手を離しベンチのある所まで後ずさった。臭いに我慢できずハンカチを取り出して口と鼻を覆った。
 私はテレビがあった方を見た。
 テレビのブラウン管に青い筋があった。青い筋は割れてできた皹と同じ形をしていた。筋は次第に太くなりその一部が滴となって下へと青い筋を伸ばしていった。青い液体がブラウン管から漏れだしているのだ。垂れ下がる滴は数を増し、画面を毒々しい程に青い液体が覆っていった。
 画面から漏れ出した青い液体は地面へと達していた。
「あれが青い毒か」
 私は苦々しい思いで呟いた。
 テレビから軋む音が聞こえた。
 破裂音と共に画面は飛び散り、青い毒がぶち撒かれた。
 突き刺すような刺激を持つ薬品臭が更に強くなっていった。
 私は空を見上げた。そこにも毒々しい程の青い空がある。青い空は暴力的な圧迫感を放って地上を蝕み押し潰そうとしている。それに抗う事など不可能だ。

 私は再びテレビのあった所を見た。頭上にある危機と比べれば、ここに噴き出した青い液体など取るに足らない物だ。
「所詮テレビから出た物はこの程度なのか」
 薄められ、演出で味付けされた物でしかない、加工された現実を映すテレビからはこの程度の毒しか出ないのか。いや、出なくて良かったと言うべきか。危機を唱えつつも何処か危機感がなく、『陳腐』なイメージで世界を色づけするマスメディアは実に良心的なのだ。彼等は厳然としてある危機を和らげてくれる。問題の本質的な解決にはならないがそれを覆い隠してくれる。危機には解決法がなく避けようもないからだ。
 操作されるのが嫌なら外へ飛び出せばいい。危機が持つ圧倒的な暴力に晒されるだけだ。そして自分が今まで守られていた事を思い知るだろう。
 しかし問題が解決していない以上、危機は訪れる。必ずにだ。

 だから私は空を見上げる。空に満ちている青い毒は何時地上を押し潰してもおかしくない、明らかに差し迫っている世界の危機なのだ。それを実感して危機から目を逸らさない行為こそが重要だ。だから私は空から目を逸らさない。危機を認識する事が人の立ち位置を決める。役割を決める。世界に自分が実存すると実感出来る。
 だから私は空を見上げる。

「それで良いのか」
 声が聞こえた。ノイズが混ざった小さな声だ。
 小さな声だがはっきりと聞こえた。
「もちろん良い。世界を滅ぼす危機は空想等ではない。現実として存在しているのだ。そしてそれは何時起こっても不思議ではない。今の世界は素人が綱渡りしている様なものだ。実に危ない状況にあるのだ」
 私はそう答えた。
「そうか。それで良いのか」
 小さな声はそう言った。
 それきり何も音がしなくなった。
 酷い薬品臭はいつの間にかなくなっていた。そしてあふれ出した筈の青い液体も何処にも見当たらなかった。残っていたのは画面が吹き飛び、内部を晒した壊れたテレビだけだった。
「所詮虚像でしかないのか」と私は言った。

                      *

 君は炎天下に降り注ぐ光に耐え、疲れ切った体を動かす苦行に耐え、追いかけられるかも知れないという恐怖に耐えて屋根の上を走っていた。足の下ではトタンの板が大きな音を立ていた。
 向かうのは公園だ。
 最初に三階の窓から外を見渡した時に公園の位置と方向を確認していた。二階にあった宗司の死体を公園にどうやって移動させたのか知りたかったからだ。あの窓から屋根の上をを伝っていけば五分位で行けるのではないかと当たりを付けていた。直線距離なら下の路地を通るより、屋根を伝っていく方が早い。
 しかし、たった五分でも今の君には永遠にも感じられる程永かった。
 体は思うように動かず、まるで夢の中で前に進もうと足掻いているような感覚だった。 後ろからは何か得体の知れないプレッシャーが押し寄せている様に感じた。
 まるで白く輝く世界を走っている白昼夢を見ている様だった。

 だがそれも終わりに近付いて来た。前方に屋根のない見通しの良い空間があった。
 そこは公園があるはずの場所だ。
 君はその場所へと力を振り絞って向かっていった。
 屋根から塀に足をかけ、できるだけ早く、できるだけ慎重に下りていった。足が地面に届き、大地を踏みしめた時、君はそのまま倒れるのではないかと思った。公園の中ならば安全なのだ。君はそう確信していた。

 公園は特別なのだ。君はあの集団の人達が公園は存在しないかの様に振る舞っていたのに気付いていた。そしてあの老人が言っていた『始めは公園に集まっていた』という言葉が気になった。
 おそらく、この公園が『エデンの園』だ。
 彼等の態度と手記に書かれた事を参考にすれば、いまここには入る事はできない筈だと推測できる。ここが『エデンの園』なら錬金術が成功するまでこの公園の存在はなかった事になる。『真実の世界』は失われたからだ。成功する事で再びここに入る資格を得るのだ。それまではこの公園は安全地帯となる。

 しかし、それでも油断はできない。この公園で宗司の死体が発見されたからだ。これは全ての人の認識外に有る訳ではないと言う事だ。それを考えると一番怪しいのは宗一だ。確か宗一自身が『私が殺した』と言っていた。あの動画を見る限り実際に手を下した訳ではなさそうだが、指示をしたのは宗一で間違いない。
 公園に宗司の死体を置いたのは、ここが『エデンの園』だからだ。ここが認識外の場所である限り、隠し場所としてはうってつけの場所だ。ここに置けば誰にも見つからない。
ここに目を向ける者はいないからだ。

 とは言っても一番安全なのはこの公園であるのは確かだ。少しの間――体力が回復するまではここで休むのが良いだろう。
 君は公園の中を見渡した。それだけの余裕ができてきた。
 そして公園内に異常がある事に気が付いた。気付いたが、それが何を意味するのか理解するのに多少時間が掛かった。
 ベンチの上には宗司の死体がある。そこまではいい。
 あと三つ横たわっている物がある。

 黒い黒を被った男が二人横たわっていた。側には猟銃とチェンソーが置いてあった。
 もう一人袋を被らず素顔を晒した赤い服を着た男が横たわっていた。
 三人とも宗司と同じように胸へナイフが突き立てられていた。

 君は素顔を見せた赤い服を着た男を注視した。
 これは水野だ。これといった特徴のない男だったが、見分けられない訳はない。この死体は間違いなく水野だ。それに疑問を抱く余地はなかった。

 しかし、さっき君は高台の上の戸田兄弟の家で水野と合って会話をしたのだ。なのになぜ水野の死体がここに有るのか。戸田家の三階から屋根を伝って最短距離で走ってきたのだ。途中で追い抜かれた等という事は絶対にない。

 この公園に水野の死体がある。それは明らかな事実だ。
 これが何を意味するのかを考えようとしたが、頭が上手く回らなかった。
 君は途方に暮れた。
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